浜村美智子さんの今…「『バナナ・ボート』を初めて聞いたときは、お経みたいな歌だなあと」
「バナナ・ボート」を初めて聞いたときは気が進みませんでした
さて、鹿児島市生まれ、大阪市育ちの浜村さんは、中学卒業後に歌手になるべく上京。東邦音楽学校に通いながら、モデルやナイトクラブ歌手として活動していた。
週刊誌に掲載されたグラビアがレコード会社の目に留まり、“カリプソの娘”のキャッチコピーで57年、「バナナ・ボート」のカバーでデビューすると大ヒットした。
「『バナナ・ボート』を初めて聞いたときは、お経みたいな歌だなあと思い、『え~これを歌うの?』って気が進みませんでした。でも、まだ海外に行ける人なんてほとんどいない時代に、米国、ブラジル、フィリピン……いろんな国へ行って歌ったり、レコーディングさせていただきました。秒刻みの忙しさでしたけど、刺激的で楽しい毎日でしたね」
結婚・出産で一時引退したものの、30代で再デビューした。
「好奇心が強くて、歌以外にもいろんなことに夢中になって取り組んできましたよ。メキシコに夢中になってスペイン語を習ったり、少し前までは手話を習い、『バナナ・ボート』などに手話をつけて歌ったり。今はあんまり夢中になれるものがないわね……。それはそれでラクチンなんですけど」
辞書を引き引きファンレターの返事を書き、大好きなゴーヤー栽培を楽しむ日々だそうだ。
(取材・文=中野裕子)