藤圭子「空腹とニヒリズム」(1)歌うことはすなわち家族が食べていくことだった
人はおよそ貧乏に生まれることを望まない。しかし、生まれ育ちが本人の意思で選べない以上、自力で底辺から這い上がってきた者は、それだけでスターとなる資格を持つ。作家の五木寛之が〈怨歌〉の歌い手と定義した藤圭子は、その象徴的な存在だった。
藤圭子(本名・阿部純子)の両親は旅回…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り2,395文字/全文2,535文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】