「会いたい」大ヒットの沢田知可子さんが小田原移住し「主人に依存している」理由
「移動の疲れから復活するのに、時間がかかるようになりましたね(笑)。還暦を過ぎましたから、これからは少しゆとりをもち、コンサートの後、その土地の観光名所などを巡ってゆっくりしようか、と夫と話し合っています。これまでは歌って帰るだけだったので」
32歳のときに結婚したので、2025年で丸30年。仲が良いんだなぁ。
「120%、夫の辛抱のおかげ。夫が母親で、私はやんちゃ息子、という感じかな(笑)。夫はもともと私のバックバンドのメンバー。『会いたい』を出した頃にはもう交際していました。『会いたい』ヒット後、レコード会社に訴えられたり、マスコミに追いかけられたり、大変なことが次から次へと起こり、夫と一緒だったからこそ乗り越えてこられたと思います」
14~15年には、「会いたい」の作詞家・沢ちひろ氏から訴えられ、騒動になった。
「沢さんは天才。尊敬しているのに、その思いをうまく伝えられていなかったので、先生を怒らせ、寂しがらせてしまったのかもしれません。裁判は結局、沢さんが私に電話をかけてくださり、お互い本音で話せたおかげで誤解が解け、訴えを取り下げてくれました。その翌年に心不全でお亡くなりになったことを、後に彼女のお姉さんからうかがったときは、本当にショックでした」