“フェチの鬼才”中野D児 六本木でウエーターをやっていた
1980年代半ばから後半にかけてAV黄金期、業界屈指のSM男優であると同時に“フェチの鬼才”として勇名を馳せた黒ヒゲ、サングラスのAV監督がいた。中野D児さんだ。一方でレコードやプラモデルのコレクターとしてもしばしばマスコミに取り上げられた。今どうしているのか。
「『あの人は今』? よくオレの名前が出てきたね。ここに引っ越してきて5年。カネはないけど、元気にしてるよ」
JR津田沼駅からタクシーで10分の自宅アパートを訪ねると、苦笑しながら中野さんが迎えてくれた。
「六本木のレストランで深夜担当のウエーターやってるんだ。夕方に家を出て、朝に帰ってくる。仕事で都心に向かうサラリーマンとは真逆の生活だね」
ってことは、エロ系はなし?
「ヤル気は満々、オファーがあればいつでもオッケェなんだけど、世代交代もあって、声が掛かんないんだよ。ただ、緊縛ライブを年に何回かやってて、今年2月には市谷でピンク女優の樹花凛チャンをモデルに撮影会を開いたよ」