中1でギラン・バレー症候群 美馬寛子さんは陸上に救われた
中学2年から始めた走り高跳びは、中学3年で全国大会に出場できる成績を収め、それがきっかけで高校の推薦が決まり、陸上のおかげで東京の大学にも進学できました。もし、東京に出てきていなかったらモデルという仕事とも無縁でした。そう思うと、病気が私の人生の第一のターニングポイントだったといえます。
さらにいえば、家族が事故で相次いで亡くなるという不幸があったとき、精神的に乗り越えられたのも病気の経験がプラスになったんじゃないかと思います。今は、あまり病気を意識していません。熱が出ると握力が気になりますけどね。ただ、「普通のことが普通じゃない」ということは、病気から学びました。
ある日突然、それまで当たり前にできていたことができなくなることは誰にでもあり得るのです。不自由なく歩けることがどれだけありがたいことか……。そして、明日は何が起こるか分からないから、今やりたいことに素直でいたい。将来を見越して我慢するのはもったいないですよ。
▽みま・ひろこ 1986年、徳島県生まれ。2008年にミス・ユニバース日本代表となり、同年の世界大会でトップ15位、さらに「ベスト・オブ・アジア」に選ばれた。その後、数々の有名ブランドのモデルとして世界的に活躍。現在、ワールドクラスビューティーエキスパートとして、ファッションや美容関連の講演、イベントに多数出演している。