「命がけの勝負や」と阪田三吉が語った南禅寺対局の結末
1936(昭和11)年12月、読売新聞は「待望の巨人今ぞ起つ!」という見出しで社告を掲載した。伝説の棋士・阪田三吉(当時66)が長い沈黙を破って、木村義雄八段(同31)と対局することになったのだ。
名人を自称したために中央棋界から10年以上にわたって絶縁されていた阪田…
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