元競輪選手の父子が大正時代から営む自転車店(板橋)店主が語る自転車人生
後楽園のカップは「銀だった」
5月、小林亜星氏が亡くなった。昭和49年生まれの身としては、氏のCMソングでも日立の「この木何の木」なら馴染みがあるけれど、昭和41年のブリヂストン「どこまでも行こう」となるとちょっと接点がない。某日、BSをキーストンで囲った旧ロゴの残る店の前を通りかかり、当時の様子を伺おうと…
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