「ねえ、あなた。2人で住み込みの管理員をしましょうか」と妻が言い出した
今を去ること、ほぼ15年前、わたしは窮地に陥っていた。
京都の小さな広告代理店から独立を果たし、これまたひとり社長のような小さな会社を拵えたものの、得意先が次々と減っていき、わが社一番の大口クライアントだったA社やB社も、いうところの“3K”から手を引くようになっていたのだ。
バブル全盛のころは、「広告・企画・広報」といえば就活生にとっては垂涎の的だったのだが、バブルがはじけてからはリクルーターよりは企業そのものが見向きもしなくなった。そして3Kといえば、「キツイ・キタナイ・キケン」を意味するようになった。つまりは、かつて花形だった職業もしくは部門が、できれば避けたい職種の一つと化してしまったのだ。
ご多分に漏れず、わたしのクライアントたちも軒並み、広告・企画・広報に関する費用を削るようになった。それに要する制作物を外注せずに自社で賄うようになった。
世はまさにパソコン時代。マッキントッシュが知恵を絞ってくれたおかげでキーボードを打ってプログラミングするのではなく、マウスひとつでさまざまなものが制作できるようになった。