塩水港製糖・久野修慈会長<2>精神が養われた中央大法学部
久野氏が生まれた福井県は自民王国とも呼ばれ、保守性が強い土地柄。父親も保守的な考えの持ち主だった。
本当は早稲田大の法学部に入りたかった久野氏だが、1950年代半ばの同大は左翼の動きが活発になっていた。せっかく合格したものの父から猛反対され、中央大の法学部に進むことに…
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