安久工機 田中隆社長(1)「世界トップレベルのベンチャー7社」に選ばれた町工場
「早稲田の先生から声をかけられて、このプロジェクトに安久もかかわりだすんです。学生さんが描く図面のアドバイスとか、実際に装置をつくるという形で協力するようになっていきました。今でこそ“医工連携”という言葉が当たり前に使われますが、それをすでに50年以上前からやっていたことになります」
医工連携とは、医学分野の関係者と工学分野の関係者がタッグを組み、新たな医療機器や技術を開発することを指す。それにしてもなぜ、スタートしたばかりの安久工機にお鉢が回ってきたのだろうか。
文夫氏が勤務していた東洋精器は、同じ下丸子に本社があった東証1部上場の北辰電機製作所(現横河電機)の仕事を請け負っていた。その北辰電機に勤めていた一人が早稲田大の出身者で、同大の研究室に戻ったので、その縁で協力を依頼されるようになったのだ。当時から、文夫氏の技術の確かさが信頼されていたということだろう。
安久工機が創業した当時、隆氏は中学2年生。業務の内容についてはほとんど知らなかったが、「小さな会社だけど、人の役に立つ仕事をしているに違いないという認識を持っていました」と隆氏は振り返る。 =つづく
(ジャーナリスト・田中幾太郎)