1970年の大阪万博が描いた「未来」は今…来場者6421万人、経済効果は約5億円だった
完全な「スマートシティー」を体験してみたい
・フードビジネス
それまでコーヒーは瓶入りだったが、1969年に上島珈琲が世界初の缶コーヒーを発売。大阪万博の自販機で普及していく。
「1906年ミラノ万博で使われたエスプレッソマシンは瞬く間に広まりました。多くの人に短時間でコーヒー飲料を提供することができたからです」(多賀氏)
短時間といえば、日本のファストフードも大阪万博から。
アメリカ館でケンタッキーフライドチキンの実験店舗が大成功。日本初のファストフードになった。71年にはミスタードーナツ、マクドナルド、ダンキンドーナツ、72年にモスバーガー、73年にはピザハットやシェーキーズが続々出店。ファミリーレストランもロイヤルがステーキハウスを出店し、日本のファミレスの元祖といわれる。
日本の経済成長をひしひしと感じるが、2025年の万博に期待はできるのか。
「かつての万博は、その時代の頂点の技術、芸術、国の特産物を見せ合う場でした。モーターショーやCES(アメリカで行われる家電見本市)のようなマーケットとつながっている見本市とは位置づけが違うはずです。今度の大阪万博は『いのち輝く未来社会のデザイン』をテーマに掲げていますが、私が期待するのは完全な『スマートシティー』。今まで掛け声と一部技術の実証実験でしたが、全部揃ったものを体験してみたい。情報だけならネットで十分。今は70年代とは全く違います」(多賀氏)
25年大阪万博では、三菱未来館、電力館など当時の名前で参加する企業もある。岡本太郎が指摘した「お祭り」感はほとんど感じられないが、どのような未来を描くのだろうか。
*参考文献「1970年 大阪万博の時代を歩く」(橋爪紳也)、「大阪万博が演出した未来」(暮沢剛巳、江藤光紀)など。