警視庁の監視を受けて「戦って、死ぬ」という檄文を撒いた
死のう団事件のケースは昭和初年代の特高警察の暴虐の姿でもあった。カナトクの警察部長は本省に栄転し、特高課長は自殺している。拷問した刑事たちは詫びたとはいえ、転出、あるいは配置換えになり、死のう団本部は依然として刑事たちの監視の中にあった。
10人余の団員が閉じこもり、外…
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