伊藤は相手を敵と判断するや徹底して追い詰める性格だった
伊藤博文は近代日本の創設者として名を残したが、その始まりは大久保利通亡きあとにその地位を引き継ぎ権力の中枢に座ったことにあった。自由民権運動が燎原の火のごとく燃え広がった時代である。しかし伊藤はこうした運動とは一線を画し、当初は井上馨や大隈重信らと立憲政治に関心を持ち、その政体…
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