7日午前7時、14回目の電報で日本大使館は混乱状態に陥った

山本五十六が隷下の機動部隊が真珠湾攻撃を始めた時にまず案じたのは、ワシントンの日本大使館が外交断絶の文書を事前にアメリカの国務省に手渡しているだろうかということだった。それを部下の政務担当参謀に執拗にただしていた。
しかしワシントン時間の12月7日午後1時の手渡すべき時…
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