シリーズ「伴食宰相」(2)独ソからいいようにあしらわれた平沼騏一郎の弱さ

林銑十郎の後を継いだ第1次近衛文麿内閣、その後が平沼騏一郎であった。この平沼もまた首相の器だったろうかとなると、疑問を呈さざるを得ない。いくつもの疑問があるのだが、最大の疑問は、平沼は天皇に嫌われていたのではないかという点にある。昭和7(1932)年5月に起きた五・一五事件は結…
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