<第17回>北の湖理事長は親方株の売買を合法化した
だからこそ親方株の売買はいまも半ば公然と行われているというし、違反者が出ることもない。「売買禁止」を打ち出した北の湖理事長も、堂々と理事長のイスにふんぞり返っていられるというわけだ。
「一時は4億5000万円で売買された株もあったと聞いた。けど、バブルがはじけたいま、親方株はだいたい7000万円前後かな。値段はケース・バイ・ケース。弟子が人気力士なら親方もふっかけるだろうが、それでも1億円程度だ。これだけ値下がりしても、値段交渉はもめることが多いね」(前出の親方)
そんな親方株問題に本気でメスを入れようとしたのが放駒前理事長(元大関魁傑)だった。協会が親方株を一括して買い上げることを提案。闇で売買しようにもできなくしようとしたものの、億単位で買った株を安く買い叩かれてはかなわないという親方衆の猛反発により改革は進まず、12年に退任した。
放駒理事長以前にも96年、境川理事長(元横綱佐田の山)が私案ながら親方株問題にメスを入れようとするも、やはり親方衆の猛反対にあった。境川理事長は私案の撤回のみならず、次期役員改選で自ら理事長の座を退いた。
親方株の売買禁止をうたいながら、後継者指名権と顧問料という「抜け穴」をつくった。親方株の売買を禁止するどころか「合法化」した北の湖理事長の罪は重い。
(つづく)