<第25回>「有名人になる」と思われていた

水色の表紙の卒業文集。大谷がいた水沢南中学校3年7組の扉には、3つのアンケート結果が掲載されている。その中のひとつ「将来有名人になりそうな人」で、大谷は1位に選ばれた。
中学時代の大谷は知る人ぞ知る存在だった。クラブ活動で籍は野球部にあったとはいえ、あくまでシニア優先。野球部の試合には出なかった。所属した一関シニアにしても人数自体が少なかったし、全国大会に出たわけでもない。
まして学校では自分から野球を話題にしたことはない。それでも同級生には有名人になると思われていた。
「自分は体操部で表彰されることがあったんですけど、大谷は表彰されるとか、まずありませんでしたからね。だから周りも、大谷の野球のスゴさとか、知らなかったと思うんです。自分も最初は知りませんでしたから。ニュースとかになっていたわけじゃありませんし」
こう言うのは、アンケートで2位だった渡邊洸大。当時、体操部に所属、岩手県大会で優勝して東北大会へ。個人総合で5位に入り、全国大会にも出場した。現在は都内で大学生活を送る渡邊がこう言った。
「体操は6種目ある。全部に入賞すると、体育館の全校集会で一つ一つの賞状が手渡されるんです。自分の表彰式はメチャ長いので、座ってるみんなから『おまえ、なげーよ』とかよく言われてた。大谷は
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