FIFA次期会長有力 “改革派”のプラティニ氏が持つスネの傷
数年前、フランスの有力誌「フランス・フットボール」が「カタールゲート」というタイトルでプラティニらの疑惑を報じた。
それによるとFIFAが18年(ロシア開催が決定済み)、22年W杯の開催地決定の投票を行った10年12月2日の1カ月ほど前、プラティニがサルコジ・フランス大統領(当時)からエリゼ宮殿に招かれた。そこでフランス1部リーグの名門パリSGのバザン会長とカタールの皇太子アル・ターニと出会った。
その席でサルコジはプラティニに対して、カタールに投票するように要請した。実は、以前からプラティニは「22年開催地は、大本命といわれているアメリカに投票する」と示唆していた。
しかし、プラティニはサルコジの要請を聞き入れ、カタールに投票したのだ。その見返りは?
■名門チームを救ったカタール政府系投資ファンド
当時、欧州はユーロ危機に見舞われており、フランスも経済状況が悪化していた。財政難に陥っていたパリSGにカタールの政府系投資ファンド「カタール・スポーツ・インベストメント」が手を差し伸べ、11年に買収した。またカタールでのスタジアム建設、通信網などインフラ整備にフランスの企業が参加すること、逆にカタールがフランスへ資本投資することなどが約束された。