転機は6年前…ソフトB工藤監督を変えた“反面教師”とは
昨季、就任1年目でチームを2年連続日本一に導いたソフトバンクの工藤公康監督(52)。他球団からは「あれだけ戦力が豊富なら、誰が監督でも優勝できる」という陰口も聞かれたが、いくら優秀な選手を揃えても、指揮官の迷走で下位に沈んだ例はいくらでもある。
その点、工藤監督は落ち着いていた。敗戦後もマスコミの前では敗因をつくった選手を攻撃することはなく、自身の采配ミスを責める言葉が多い。
現役時代は自分の肩やヒジを大事にするあまり登板命令に背を向け、歴代監督に「ワガママ」と嫌われていた。それがいまや名将扱いだ。転機は6年前の2010年。最後の現役生活を送った西武時代だという。
当時、工藤監督は横浜(現DeNA)を戦力外になり、古巣西武に16年ぶりの復帰を果たした。指揮を執っていたのはかつての後輩、渡辺久信監督(50=現西武SD)。西武の球団OBがこう話す。
「渡辺監督は就任1年目の08年に日本一。選手を怒らない『寛容力』は本にもなった。しかし、それは大久保打撃コーチ(当時)という怒り役がいたから出来たこと。大久保コーチが現場を離れた09年からは渡辺監督が直接選手を怒ったり、メディアに個人批判を展開するようになった。すると、多くの選手は『何が寛容力だ』とソッポ。ナインの心は離れ、コーチも渡辺監督を恐れて何も言えなくなっていた」