夏は7年ぶり 東北・我妻敏監督が語る「伝統校の重圧」
――08年夏に監督となりましたが、10年に一度、退任しています。どういう経緯だったのですか?
「1度目の監督になったときは、部内で不祥事があり、(前任で校長の息子の)五十嵐監督は辞めることで責任を取る、コーチだった私は残ることで責任を取るということになりました。状況次第で五十嵐監督が復帰するということも念頭に入れながら、というのはありました」
――13年夏に2度目の監督となったわけですが、監督交代が多い学校ゆえのやりづらさを感じることはありませんか?
「それはありませんね。五十嵐先生は今も学校で教壇に立っておられますが、監督を経験されているので、私がやりやすいように見守っていただいてますし、校長先生にも全面的にバックアップをしていただいてます。ですから、あとは勝つだけだよという状態の中で、ようやく甲子園出場という結果で、いうなれば恩返しすることができ、ホッとした部分もありますね」
――今回は監督にとって2度目の夏です。
「(苦笑いを浮かべて)浦島太郎状態でわからないことが多いですけど、7年前はちょっとカッコつけた言い方をすれば、自分がキャプテンのつもりでやりました。若かったこともありますし、監督になって1年という短期間で、それこそ全面的に感情を出しまくって、自分が生徒たちを引っ張っていこうと」