夏は7年ぶり 東北・我妻敏監督が語る「伝統校の重圧」
9日登場の東北(宮城)はダルビッシュ(現レンジャーズ)をはじめ多数のプロ野球選手を輩出する野球名門校。夏の甲子園は7年ぶりの出場だ。1993年に若生監督が指揮を執って以降、監督交代が7回。3人が2度ずつ就任している。現在の我妻敏監督(34=公民科教諭)は2008年から指揮を執り、10年に退任。コーチを続けながら13年夏、再び監督に就任した。伝統校の監督を務める中でのプレッシャーや苦労話を中心に話を聞いた。
――ここ6年間は仙台育英、利府といったライバル校になかなか勝てませんでした。
「(10年からの)コーチ時代を含めて、ここまで長かったですね。勝てないときはしんどいなと思いながら、今年こそ、今年こそという気持ちでやってきました。ただ、これまでの卒業生たちといろんなことがあったなということを思い返すと、この6年間は決して無駄ではなかったと思います」
――学校や多くのOBがいる中で、プレッシャーはなかったですか?
「プレッシャーがなかったといえば、嘘になります。(敗者復活からの3回戦で敗退した)昨春の地区大会後には、学校に『責任を取らせてください』と辞任を申し出ました。ただその時、五十嵐校長から『辞めることが責任を取ることではない。野球部を強くすることが責任だ』とお話をしていただきました。それからは、学校から『辞めろ』と言われない限りは腹をくくって一生懸命やるという気持ちです。『監督を代われ』と言われれば、その覚悟はありますが、手を抜くということではなく、与えられた環境で一日一日を全力でやりたいと思っています」