DeNA1位・浜口遥大は格闘エリート一家に誕生した“異端児”
「私は子供の頃からスポーツには縁がなく、高校時代は吹奏楽部に所属していました。はい、完全に文化系です。でも、主人も上の兄2人も球技はぜんぜんダメ。近所のお兄さんの影響で始めた野球で遥大がこういうことになるなんて、お世話になった指導者の方々のおかげだと思います。子育ての苦労? いやいや、よそさまのご家庭と同じで、特別な苦労はありませんでした」
控えめにそう笑うものの、顕人さんによれば、「私は今も佐賀の自宅を離れて、和歌山で単身赴任中。仕事の都合上、単身赴任生活はかれこれ延べ30年くらいになりますかね」というから、男3兄弟を育て上げた母の力は偉大なり。神戸市の垂水区に居を構えていた21年前、兵庫県南部を襲った阪神・淡路大震災に遭ったときも顕人さんは九州に単身赴任中だった。浜口はまだ母のお腹の中で、出産予定日を2カ月後に控えていた中での被災だった。それをきっかけに九州に移り住み、現在の佐賀県に一軒家を建てたのが20年前になる。
「ドラフト1位といっても、まだプロのスタートラインに立っただけですからね。親としては、春のキャンプで力を認めてもらい、一軍で何勝かしてやっとホッとできるんじゃないかな、と。勝負はこれからでしょう」