巨人・鹿取GM 長嶋氏にも盾突いた“いごっそう”エピソード
と、古株の巨人関係者は言う。
監督に言われるがままに投げまくった現役時代の従順なイメージとは逆に、物事をはっきりと言う性格。97年に現役を引退し、長嶋監督政権下で指導者になると、それが如実に表れた。99年に一軍投手コーチに昇格すると、00年にはチーム防御率を改善して日本一に貢献。にもかかわらず、この年限りでユニホームを脱いだのは、当時の長嶋監督との関係が悪化したからだ。
「投手起用を巡って、監督に遠慮なく意見を言った。惜しみなく投手を使う長嶋監督に対し、『そんなことをしていたら、シーズン終盤まで投手が持ちません。ダメです、考え直してください!』と面と向かって言っていたからね。当時の投手陣やフロントを感心させたものだよ。02年の原監督就任時にヘッドコーチとして戻ってきて、投手陣を整備していきなり日本一になったが、2学年下の原監督に対しても同じだった。唯一、意見を言い続け、それでも独善を強め始めた原が、投手起用を自身のホームページで発表したりするようになると、『ついていけない。自分がいる意味がない』と2年で退団した」(前出の巨人関係者)