作新下した盛岡大付・関口監督に聞く寮生活と指導の変化
――寮では父親代わりのような役目もするのですか?
「高校生なので失敗もある。やっていいこととダメなことが分からない子がいっぱいいるので、それを教えるのが一番かなと。授業中に寝たとか遅刻したとかね」
――怒るときはどんなふうに。
「監督になってから怒鳴らなくなりましたね。コーチとか部長のときは怒鳴りましたけど、それって自分のエゴだなと。おりの中で厳しく育てた子たちが、いざ試合でおりを外されても、結局そのおりの中でしか動けない。言われたことや決められたことはきっちりこなすけど、それ以上はやらない。試合では、自分で気づいてやらないといけないこともあるのに、全部指示しないと動けない子になってしまったのです」
■「怒るのはエゴ」
――指導法を変えたきっかけは。
「12年に(花巻東の)大谷(翔平=現日本ハム)くんと対戦しないといけないことになって、そのときに自分らで動ける子にしないと、大谷くんを倒せないだろうと。例えば今、練習が終わって宿舎に帰ったら夕食の時間までフリーです。映画を見てもいい。買い物に行ってもいい。そこで学ぶことも多い。甲子園に初めて出たころは、何かしでかすと不安で外出禁止にしていた。でも、制限を加えている方が子供らは違うことをやりたくなる。だから、任せる部分は任せて、失敗したら教える。決して放任じゃないですよ。試合の中で盗塁も自由にさせていることがあって、『ちゃんと理屈があるならアウトになってもいい』と。ただ、『いけると思っていきました』とか、感覚的なものでやるのはダメだと」