広島1位・小園海斗の成長に一役…父語る400万円の秘密兵器
2人の出会いはゴルフ場だ。考志さんは大学を卒業後、福嶋晃子のキャディーを務めるなどしながらプロゴルファーを目指していた。ちょうどその頃、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が起きた。
「宝塚の寮(旭国際バニーズ)が半壊しまして、チームが経営しているゴルフ場にトレーニングを兼ねて避難したら、主人と知り合いました」(こず江さん)
ほどなく結婚することになり、考志さんはプロゴルファーの道を断念。かねて決めていた「整体師」になるため、専門学校で学び、30歳で自身の治療院を開業した。
野球は父方の祖父・義光さん(75)の影響かもしれない。かつては社会人の東洋高圧大牟田(現・三井化学)でプレー。巨人・原辰徳監督の父・貢氏とチームメートだった。小園が幼稚園の時、義光さんに甲子園球場へ連れて行ってもらい、阪神―巨人戦を観戦したことが、後に宝塚リトルで野球を始めるきっかけになった。好きな言葉は帽子のつばに記している「日本一のショート」だ。こず江さんは言う。
「実は枚方ボーイズに入った中1の野球ノート1ページ目にもこれを書いているんです」