私が阻止したトレードマネー1億円 宗兄弟のダイエー移籍
瀬古(利彦)とともに、マラソンの一時代を築いたのが宗茂、猛の兄弟だ。1978年の秋のこと。旭化成陸上部の大串啓二監督が会いにきた。
「帖佐さん、助けてください。宗兄弟が陸上部を辞めるといって、合宿所を出てしまいました」
旭化成「中興の祖」宮崎(輝)社長と陸上競技部をつくった黒田副社長は、2人の「脱走」にカンカン。長距離・駅伝部の廣島日出国監督は、もう合宿所に戻らないと思ったのか、「あの2人は陸上部を辞めてもかまわない」と言って話にならない。
私が陸上監督だった76年モントリオール五輪でコーチだった高橋進さんは廣島監督のサポートをしていたので、内情をよく知っている。「噂ではダイエーに行くみたいだ」と教えてくれた。ダイエーには中学時代からの友人がそれなりの役職に就いている。電話で聞いた。
「宗兄弟を引っ張っているのか?」
「おまえだから言うが、誘ってるよ。トレードマネーも用意した」
「いくらだ?」