箕島との練習試合では尾藤監督を質問攻めにし野球の勉強を
私が智弁和歌山に転勤したのは1980年。同じ和歌山の箕島は、前年の甲子園で春夏連覇しているチームです。
だから、私にとって尾藤公監督(享年68)ははるかかなたの存在でした。
徳島・池田高校の蔦監督に練習試合を申し込んだ時、「和歌山に転勤になったらしいな。なら、尾…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り957文字/全文1,097文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】