生き証人3人が語る 平成5年「ドーハの悲劇」の真実<後編>
六川「それからスペイン合宿中の練習試合は、勝矢さんが左SBとしてフル出場しました。本人も手ごたえをつかんだと思いますが、最終予選の初戦サウジアラビア戦(10月15日)の前に国立競技場で行われた壮行試合コートジボワール戦(4日)の左SBで先発したのは、清水所属の三浦泰年さんでした」
1986年からJリーグ開幕前年の1992年まで読売クラブ(現東京V)でプレーしていた三浦泰は、ラモスとのコンビネーションも過不足なくこなせるし、ボランチを本職としながら左SBの経験もある。しかも日本代表のエースFW三浦カズの実兄である。大一番を前にして「ヤス・カズの競演」に日本国中が沸き上がった。
森「都並さんは<最終予選に間に合わない>と我々も腹をくくり、その代役を務めるはずの三浦泰さんを全力でサポートしようじゃないか――という意識がスタジアム中に醸成され、サポーターの一体感は素晴らしいものがありました。ひたすら『ヤァ~ス~』と名前を連呼することで<ドーハで頑張ってほしい>という思いが、三浦泰さんに伝わったと思います」