日ハム1位・河野竜生 兄弟を7回甲子園に行かせた父の教え
■幼稚園のころからグラウンドに行っていた
河野は徳島県鳴門市内の野球一家で育った。
父・幸政さん(50)は徳島の野球強豪校の生光学園で遊撃手だった。現在は徳島県内の運送会社で大型トラックの運転手をしている。大型の11トン車を運転、徳島県内で飲料を運ぶ仕事だ。
鳴門高ソフトボール部で遊撃手だった母・飛鳥さん(48)は鳴門市内の運送会社に勤務、ワンボックスカーで荷物を運んでいる。河野の3歳上の兄・祐斗さん(24)は鳴門高野球部の主将兼遊撃手で春夏合わせて4回甲子園に出場、3年春のセンバツでは選手宣誓を行った。卒業後、明治大学へ進学、現在は日立製作所でプレーしている。
河野も祐斗さんも地元の軟式野球チーム「林崎スポーツ少年団」でプレー。幸政さんは祐斗さんが小学4年のとき林崎スポーツ少年団のコーチになり、その3年後からいまも監督を務めている。
河野が「幼稚園のころからユニホームを着てちょろちょろ、グラウンドに兄(祐斗さん)の試合を見に行ったりしていた」(幸政さん)のは自然な成り行きだった。小学生になってチームに入団。本格的に投手を始めたのは小学校の高学年になってからだ。