日ハム1位・河野竜生 兄弟を7回甲子園に行かせた父の教え
2014年夏の徳島大会でのことだ。
当時、1年生だった河野は先発するも、5回か6回で降板するケースが多かった。入学からわずか4カ月足らず。体もできていないし、無理をさせるわけにはいかない。リードしていようと、降板はやむを得ない。本人はしかし、途中でマウンドを降りることが悔しくてたまらなかった。
「当時のことは強く印象に残っています」と、現在も鳴門高野球部の指揮を執る森脇稔監督はこう言った。
「ベンチに戻って、泣きながら自分の次に投げるピッチャーを応援するのです。涙を流しながら大声を出し、一生懸命、応援していた。とにかく負けず嫌いな子でした。1年の夏から3年連続で甲子園で投げているのですが、1、2年生のときは初戦敗退。甲子園で勝てない悔しさが、彼を成長させたと思います」
迎えた3年夏、鳴門は佐久長聖(長野)、智弁学園(奈良)、盛岡大付(岩手)を下して8強入り。河野は1、2回戦で完投するなど4試合すべてに登板した。
「体(174センチ、82キロ)が大きいわけでも、飛び抜けて体力があるわけでも、足が速いわけでもない彼が、ピッチャーのランニングでは先頭を走っていた。日々の練習は人一倍、熱心でした。負けてたまるかという気持ちが強かったのでしょう」とは森脇監督だ。