正力松太郎が「頼りになるのは阪神だけ」と声をかけた顛末
■東京、名古屋、大阪に6球団
正力松太郎は日本のプロ野球の生みの親で読売ジャイアンツ(巨人軍)をつくった。それが1934年12月のこと。
正力の原案は東京と大阪と名古屋に各2球団の6球団で戦い合おうとしたもので、真っ先に大阪の阪神電鉄に声をかけた。なぜ阪神か。
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