投手の癖を克明に…江夏豊を丸裸にした5冊の“高井ノート”
代打での出場が主だった高井さんは、出番までの時間を利用して、バックネット裏の部屋にこっそり入り込んだこともある。そこで、相手投手の癖を事細かく観察しては、ポケットサイズのノートにメモ書きした。
「南海時代の江夏(豊)は、振りかぶったときにグラブの土手に特徴が見えた。土手が広がるとフォーク。縮んでいるときはストレートや。日本ハムの木田(勇)は振りかぶった際、頭の上で反動をつけると、ストレートかシュートやったし、ロッテの欠端(光則)などは、セットしたときグラブの先端が体のほうを向いて下りてきたらカーブやったね。キャッチャーにも癖があってね。右目でぼんやり観察するんやけど、インコースの配球のときに限って右足から先に出して構える者もおったよ(笑い)」
この「高井ノート」はパ・リーグ球団別に5冊用意し、その情報量も詳細さを増して膨れ上がっていった。それだけではない。日本シリーズに備えて、オープン戦ではセ・リーグの投手の癖も克明にメモした。
高井さんがようやく一軍定着を果たしたのは、スペンサーが引退した1972年からである。このシーズン、高井さんは15本塁打をマークし、そのうち5本が日本タイ記録(当時)となる代打によるものだった。しかし、一塁のレギュラーポジションを獲得したのは、成長著しい加藤秀司。阪急も選手層の厚みを誇る黄金期に突入し、高井さんの立場は依然として補欠の「代打屋」だった。