阪神・大山の実質本塁打数を「机上の計算」してみると…
だとすると、00年に主に4番を打ち、28本塁打を記録した新庄剛志のほうが大山と重なる。暗黒時代の阪神では屈指の人気者だった新庄はそもそも意外性のある長打力が売りの荒々しい打者だったから、30本の壁を越えることは彼のアイデンティティーの強化につながるはずだった。しかも、この翌年からMLBに移籍したため、再び30本に肉薄することもなかったのだから、余計に惜しい気持ちが残るわけだ。
しかし、この00年は年間135試合制で、今岡のときは140試合以上もあったのだから、コロナ禍によって120試合制に軽減された今季とは条件が異なる。もしも今季が昨年と同じ143試合だったら、大山の本塁打はゆうに30本を超えていただろう……という、机上の計算をしてしまうからいまいましいのだ。
そういう意味では、1990年の八木裕に近いものを感じる。当時の八木は晩年のような代打屋ではなく、掛布の後を継ぐ和製大砲と目されており、この年は自身初の規定打席到達を果たして28本塁打を記録。しかも、当時は130試合制で八木自身は124試合の出場だったため、今季116試合の出場で28本の大山に似たもったいなさがあった。フル出場していれば30本に乗ったんじゃないか……という、これも机上の計算である。