有藤さんの突発的な一軍復帰指令に目玉が飛び出るほど驚く
「ニシ、今日から行くぞ!」
「えっ? どこへ行くんですか?」
「バカ、ゲームに出るんだよ!」
右手有鉤骨骨折でリハビリをしていた私は1989年5月27日、監督である有藤通世さんの鶴の一声で急きょ、一軍に昇格。その日の西武戦(川崎球場)からスタメン出場することになった。
丸々2カ月、まともに練習すら出来なかった上に、いきなりの一軍の試合への出場指令。「分かりました」と、監督室を後にしたものの、目玉が飛び出るくらい驚いた。
行け、と言われてノーとは言えない。こうした有藤さんの突発的な指令への“免疫”は少なからずあった。
■39度の高熱でも紅白戦出場
骨折してからもオープン戦は一軍に帯同し続け、ギプスを着けたまま代走で出場した。当初は開幕以降もベンチ入りさせるつもりだったと聞いた。
ある年のキャンプでの紅白戦、私は39度以上の高熱を出した。「今日は休んどけ」とトレーナーから言われ、部屋で寝込んでいた。しばらくしてそのトレーナーが私の部屋にすっ飛んできて、「監督が今からグラウンドに出てこいと言ってるから、急いで着替えてくれ」と言われ、大慌てで球場へ向かった。