東京五輪翼賛報道に手のひら返し 大手メディアの“二枚舌”
「記録や演技は立派でしたけど、メディアは大騒ぎもいいところですよ」
スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏が呆れ顔でこう言った。
6日、陸上の山縣亮太(28)が100メートルで9秒95の日本新記録をマーク。その日は、体操の内村航平(32)も個人枠での東京五輪出場を決めたことを受け、新聞やテレビは大々的に2人を取り上げた。内村のニュースで過去の五輪出場時の映像を使ったテレビ局もあった。
しかし、こうしたテレビや新聞の騒ぎっぷりに違和感を感じる向きは、少なくないだろう。普段はコロナ禍での五輪開催について「危険だ」「中止、延期だ」と散々、危機感を煽り続けているのに、スポーツニュースになるや別物と言わんばかりに「応援団」に豹変する。
ある民放ニュース番組は先日、スポーツコーナーで「スポーツの祭典から平和の祭典へ」と題し、元人気アスリートを使って海外の五輪代表の様子を放送。スポーツキャスターは「出場権獲得おめでとうございました!」と五輪ムードをもり立てた。
新聞も同じだ。朝日新聞は5月26日の社説で、「中止の決断を首相に求める」と報じて話題になったものの、五輪公式スポンサーとして、スポーツ面や特集面で「代表争いの裏で美しき残像」などと、五輪バンザイ記事を山ほど書いている。
■表情と声がコロッと
大メディアの二枚舌、無節操ぶりは今に始まったことではないが、東京五輪開幕まで50日を切り、五輪モードにシフトしつつある。前出の谷口氏がこう言う。
「過去、日本の新聞社が五輪スポンサーになったことはない。報道機関でありながら、スポンサーでもあるという矛盾を抱えている。その中で、編集部門は利益を優先する経営側に屈するしかない。朝日は社説で中止にすべきと訴えた一方で、スポンサーなのになぜ中止すべきと論じたかには一切触れず、スポンサーを継続している。テレビ局も、NHKと民放キー局は2018年冬季平昌五輪と東京五輪に総額660億円といわれる放映権料を払っている。スポーツニュースになった途端に表情や声までコロッと変える。タレントや元アスリートを使いながら、五輪のヒーローやヒロインをつくり上げ、五輪には夢があると言わんばかりに視聴者に押し付ける。誰かがメダルを取ろうものなら、これまでと同様、朝から晩まで五輪一色になるでしょう」
「平和」「絆」の押し売り
スポーツファンの吉川潮氏もこう断じる。
「新型コロナ対策分科会の尾身茂会長が『今の状況では普通は(開催は)ない』と言ったのは、ごく当たり前の意見。特にテレビはコロナ禍で広告収入が大打撃を被っているから、五輪で少しでも挽回したいともくろんでいるのでしょう。マスコミは『社会の公器』と言われたものだが、コメンテーターに無責任で都合の良いことばかり言わせ、開催中止や延期を煽っておきながら、五輪が近づけば『平和』や『絆』という大義名分を振りかざし、手のひら返しで五輪開催を正当化するはずです」
こうしたテレビの五輪報道を懸念しているのだろう。新型コロナ対策分科会の尾身茂会長は「一生懸命、自粛しているところにお祭りの雰囲気が出た瞬間をテレビで見た人々がどう思うか」と言っている。
前出の吉川氏は、「日本全体が五輪開催可否を含めて、自分にとって得か損かという視点でしか考えられなくなっていると感じる。他者をおもんぱかる日本人の美徳はどこへやら。ここまで価値観が変わってしまったのは、悲劇というより喜劇ですよ」と、さらにこう続ける。
「大メディアの事業部やスポーツ部にとって五輪は得だが、コロナ問題を報じる部署の人間にとっては必ずしもそうではない。だから、『ダブルスタンダード』になるのでしょう。朝日新聞にしたって、自分たちが主催する夏の甲子園では、熱中症に苦しむ人がたくさんいる中で開催し、脱水症状になった選手を美化しているんですから」
■行き着く先は政治利用
前出の谷口氏は、まもなくやってくるだろう「五輪礼賛」をこう危惧している。
「1984年のロス五輪以降、五輪は『メディアゲーム』と言われるようになった。テレビ局が巨額の放映権料を支払い、テレビ局の都合に合わせて競技日程が決まる。こうして五輪翼賛報道がつくられている。大メディアは利益のために、菅政権の五輪ゴリ押しに乗って五輪ムードを煽ることで、国民の目を現実から引き離そうとする。こうして盛り上がった後に菅政権はこれを政治利用し、解散総選挙を描いている。国民はこのような恐るべき事態が待ち受けていることを自覚しておくべきです」
損得勘定でしか動かない大メディアは、まるっきり信用ならない。