「10月26日」は日本サッカーにとって不吉な数字と思われた
88年ソウル五輪は、日本の〈天敵〉である韓国が、開催国のために予選不参加。さらに西ドイツから奥寺康彦が戻り、木村和司もプロフェッショナルプレーヤーとなってプロ化への機運も高まった。
20年ぶりの五輪出場が実現するのではないかと期待が高まったのも当然だろう。
ソウル五輪予選は実力下位のインドネシア、シンガポール、タイ、ネパールを順当に下して決勝戦まで駒を進めた。
1987年10月4日、アウェーの中国・広州での試合は、異様な雰囲気の中で進んでいった。当時の中国は北部・遼寧省の大連市や瀋陽市など出身の長身選手が主力を務めていた。このため南部の広州市民は遼寧省の選手がボールを持つと味方チームでも盛大なブーイングを浴びせた。そして広州市の小柄な選手がボールを持つと大声援を送る。日本では感じたことのない応援風景だった。
試合は、水沼貴史のFKをエースストライカーの原博実(現Jリーグ副チェアマン)が打点の高いヘディングシュートを叩き込み、1-0で先勝した。