「10月26日」は日本サッカーにとって不吉な数字と思われた
余談だがーー。前回の1998年リオ五輪でも手倉森ジャパンはマナウスで2試合、サルバドールで1試合を戦ってグループリーグ敗退となり、一度も「リオ」に行くことはなかった。
1都市での開催ではなく、分散開催されることによる注目度の高さ、屋内競技と違って巨大スタジアムで開催されるので入場料収入も多い。なのでサマランチIOC会長は、五輪サッカーにプロ選手の出場に積極的だった。
これに真っ向から反対したのが、FIFAのアベランジェ会長である。スペイン人のサマランチ会長、ブラジル人のアベランジェ会長、そして当時の国際陸連のトップだったイタリア人のネビオロ会長の3氏は「世界のスポーツ界を牛耳るラテン・コネクション」と言われたものだ。
しかしアベランジェ会長にとって、五輪サッカーにプロ選手が参加することは、どうしても容認できることではなかった。理由は簡単だ。アベランジェ会長には「W杯こそが世界唯一にして最高峰のスポーツ大会である」という信念があったからだ。五輪にその地位を譲る気はさらさらない。