「10月26日」は日本サッカーにとって不吉な数字と思われた
綱引きの結果、ソウル五輪は前回のロス五輪と同様に「W杯とW杯予選に出場していないプロ選手の出場を認める」というグレーな結果になった。
大会はというと、前回ロス五輪をボイコットした東側諸国のソ連が準決勝でイタリアを3-2で下し、決勝でもブラジルに2-1と競り勝って金メダルを獲得した。銀メダルに終わったブラジルは、ロマーリオが得点王を獲得しただけでなく、ベベートやアンドレ・クルスといった選手が躍動した。銅メダルを争った西ドイツ(当時)にはクリンスマン、ブトケ、イタリアにはカルネバーレ、フェッラーラ、そしてグループリーグで敗退したユーゴスラビアには、若き日のストイコビッチ(現セルビア代表監督)がいた。
当時は彼らのプレーをテレビ映像で見ることはできなかった。クリンスマンやストイコビッチの真価を知るには、2年後の1990年イタリアW杯を待たねばならなかった。(この頃つづく)