<5>世界バレーの会場に向かう前、ユニバーシアードの学生たちにシューズを提供した
問題はソフィアに届いている荷物だ。当時のブルガリア共和国は社会主義国。発送は東欧貿易に強い個人商社にお願いし、同社でブルガリア政府とスポーツ界にパイプを持つマダム・クルテバさんを紹介してもらった。貿易会社の社長や彼女の働きかけにより、難航した通関は、大会の3日前に無税となった。共産圏の国で数百足ものシューズが無税通関できたのは奇跡に近い。その条件は以下の3点だった。
①全商品は販売せず寄贈する。
②その3割はブルガリアのバレー協会へ寄贈する。
③残りの商品は各国のチームに寄贈し、受け取りのリストに全員のサインをもらって税関に提出する。
通関手続きを済ませ、ブルガリアのバレー協会に荷物の3割を納めた。まずは男子の松平康隆監督に挨拶し、各国にシューズを配る許しを得た。それぞれの宿舎を回り、選手個々のサイズを聞き、シューズを提供。寄贈リストに監督のサインをもらった。
男子チームの作業を2日で終え、荷物を積んだトラックで女子が決勝リーグを行うバルナへ向かった。