新庄は初任給で買ったグラブを引退まで使い続けた「これがダメになったら野球をやめる時」
野手の新庄は投手の麦倉氏とは練習場所や時間帯が分かれていたが、「彼が一番遅くまで練習していたのを覚えています」。
ポジションは違えど互いに一軍出場を目指すライバル。麦倉氏は出会った直後から新庄をマークしていたという。
「一番最初に驚かされたのは新庄監督のパワーでした。高校卒業直前に参加したプロ初キャンプのことです。たしか初日だったかな。フリーバッティングで飛ばす打球がとにかくすごかった。練習場のレフト側には球が外に出ないように高いネットが設置されていました。これは外国人打者対策のものでしたが、新庄監督はそれよりも飛ばしたんです。高校3年の時点で外国人選手にパワーで負けていなかった。肩も強いし、走れば速いし……。それでも得意げにする様子もなかったのが、妙に印象的でした」
■苦楽を共にしたグラブは亡き父・英敏さんの棺の中に
プロ2年目の春、一足先にデビューしたのは麦倉氏だった。
「先を越されても新庄監督に焦る様子はなく、『すげえな!』と一緒に喜んでくれました。その後、私は3年目に肩を故障してしまい……。2年目の秋にデビューした新庄監督とはちょうど入れ違いのタイミングでした」