「高校監督時にプロ入りを勧めたのは新庄一人だけ」西日本短大付高の元監督が明かす
浜崎満重(元西日本短大付高監督)#1
「聞いたときはビックリしました。青天のへきれきでした」
日本ハムの新庄剛志監督(49)の西日本短大付高(福岡)時代の監督、浜崎満重氏(73)はこう言って目尻を下げた。
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浜崎氏は社会人の新日鉄堺監督を経て、1987年1月に西日本短大付へ。新日鉄堺での監督、助監督時代は野茂英雄(近鉄、メジャー)をはじめ、尾花高夫(ヤクルト)、馬場敏史(ダイエー、オリックスなど)らをプロに輩出した。教え子がプロ野球の監督になるのは、尾花(横浜=現DeNA)に続いて2人目となる。
92年夏の甲子園大会で全国制覇を果たした浜崎氏にとって新庄は西日本短大付監督時代の1期生に当たる。
「福岡・長丘中学校で6番を打っていたとしか聞いていませんでした。実際に入学してきて、飛び抜けて凄いな、とまでは感じませんでしたが、他の1年生よりも肩が強くて足が速い。将来有望だなと思いましたね」