落合博満さんとの1対4トレード要員となった牛島は星野監督に「僕が何かしましたか?」
牛島は79年ドラフト1位で入団。3年目の82年に絶対的守護神として7勝4敗17セーブでリーグ優勝に大きく貢献した。この年は星野さんの現役最終年で、「兄貴分」として慕っていた星野さんに花道を飾ってもらおうと、必死で投げていたのを捕手の私は知っている。
星野さんが引退した後も、84年に29セーブを挙げてタイトルを獲得。86年オフに決まった星野監督の就任を誰よりも喜んでいた。そんなタイミングでのトレード通告だった。牛島は星野監督に「僕が何かしましたか?」と尋ねたそうだ。
■巨人への移籍が有力だったが…
一方、1986年は4位に終わったロッテで稲尾和久監督が解任され、有藤道世(現・通世)監督が就任した。
稲尾監督を信奉していた主砲の落合さんは「稲尾さんのいないロッテに自分がいる必要はない」と反発したという。
打率.360、50本塁打、116打点で2年連続3度目の三冠王となったばかりの落合さんは、年俸が日本人選手初の1億円を超えることが確実視されていた。財政事情が厳しいロッテにとって限界に近づいていると報道され、トレードの動きが本格化。マスコミは「巨人が有力」と騒ぎ立てたが、話がまとまらなかった。