絶対の自信をもっていた「牽制」が1990年開幕後…突然使えなくなった裏側
私は亜大時代から自分の牽制には絶対の自信をもっていた。ボークすれすれ、微妙なところで勝負していただけに、キャンプ中から審判団にはボークにならないか確認していた。紅白戦であえて牽制を使い、いまのは大丈夫かと。審判団の見解は「問題なし」だった。野村監督のコメントもあって、自信は確信に変わった。
ところが、開幕後の4月、急にボークを取られるようになった。執拗だったのは西武のベースコーチたちだ。
私が一塁に牽制を使うたびに、三塁ベースコーチの伊原春樹さんは三塁塁審に何やら話していたし、一塁ベースコーチの片平晋作さんは大きなアクション付きで一塁塁審にアピールしていた。
審判団は当初、「紛らわしい」という見解だった。しかし、明らかに牽制と分かる牽制では意味がない。こちらはボークすれすれ、紛らわしい部分で勝負しているのだから。ましてキャンプでは審判団から、自分の牽制はボークではないという言質まで取っていたのだ。
西武は85年からの10年間でリーグ優勝9回。まさに黄金時代だったチームが唯一、優勝を逃したのがその前年の89年で、優勝したのは我々近鉄だった。私は89年のシーズン、ほとんど西武戦で投げていただけに、あの牽制を使えなくした方が試合を有利に運べるという計算が西武には働いたのかもしれない。