人生を野球にたとえれば、村田兆治はカーブを投げられなかったのかもしれない
村田兆治(2022年11月11日没/享年72)
経済評論家の神崎倫一が拙著『情報は人にあり』(講談社文庫)の解説に次のように書いてくれてから、村田兆治のことは気になりつづけてきた。
「ケレン味のない直球投手である。ロッテの村田兆治のように、ひたむきに攻めてくる。ぶつけられたら、さぞイタいだろうし一大分、悲鳴をきいた一観ている者にとってはこれくらい痛快なこともないだろう」
辛口評論家などといわれた私の批判を村田の豪速球にたとえてくれたわけだが、神崎の解説はその後、次のように続く。
「だが、ペンの凄味とはガラリと変わって、素顔の佐高信はカラリとした人柄で、飾り気がないナイスガイである」
神崎のリップサービスをそのまま引くのは気がひけるが、私はともかく、村田の素顔は「顔飾り気がないナイスガイ」なのだろう。
この文章が出たのが1992年2月。以来30年を私はとりわけ村田をわがことのように思って過ごしてきた。
そしてこの結末である。