元西武・野田昇吾がボートレーサーに異色転身したワケ…声優の妻と結婚後すぐに戦力外通告
まるで軍隊?養成所の仰天エピソード
養成所では朝6時にブザーが鳴り、起床。たとえ6時前に目が覚めていても起き上がってはいけなかった。
「ブザーが鳴ってから3分以内に中庭に集合し、乾布摩擦。その際、寝具の畳み方もチェックされます。一日を掃除、朝食、ボート操縦やエンジン、プロペラの整備方法、燃料の知識などを習得する課業をして過ごします。試験が6回あり、その都度合格しなければ即退所。不合格だとすぐに荷物をまとめて出て行かなくてはなりません。50人ほどいた同期は卒業の頃には半分の25名になっていました」
1日のスケジュールがみっちりつまっているが、就寝は22時のため、試験勉強の暇がなかったという。
「夜中のトイレも決められたところを歩かなければ、教官が飛んできます。勉強をしたくて教科書を持ってトイレにこもる時もありました。なかなか覚えが悪くて、10歳ほど年の離れた同期に囲まれての勉強は焦りました」
そんな環境の中だからこそ起こった仰天エピソードも。
「食事制限があるので、甘いものに飢えるんです。パンに塗るジャムが楽しみで、コーヒーシュガーを大量に持っていく人もいました。先輩が卒業すると、アイスの自動販売機で買い物が許されるんですが、タガが外れてみんな買い漁るので、2日で自販機が空になるんです。自販機にいくつアイスが入っていると思いますか? 400個だそうです。それを25人が2日で食べ尽くす。もう正常な判断ができなくなってたんでしょうね。今でもアイスの自販機を見るとつい買いたくなります」
そんな異常ともいえる心理に追い込まれながら、厳しい規則とボートのことだけを考えた1年を過ごし、無事に卒業。22年11月にデビューを果たした。所属先に埼玉支部を選んだ理由をこう話す。
「埼玉西武ライオンズ時代のファンに恩返しがしたかったから。引退も結婚も、コロナ禍でファンの方に直接お伝えできなかった。これからも埼玉から活躍できるように精進します」
6月には、西武ライオンズ対ヤクルトスワローズの公式戦で始球式を務め、再びマウンドに立った。ライオンズファンからの歓声が嬉しかったという。
プロになってからも過酷な環境は変わらない。妻や子供が直接、野田の活躍を見ることはできないという。
「3親等まではレース場に入れないんです」
レース中は合宿所で寝泊まりする選手たちは、当然スマホもパソコンも持ち込めず、外部との接触は遮断される。エンジンの調整も自身で覚える必要があり、練習はレースが開催されている時にしかできない。わずかな時間がとても貴重なのだ。
「パフォーマンスが上がることであれば、なんでも取り入れます。視力の問題でレーシックの手術も受けました。これからは元野球選手という肩書を生かしてボートレースの面白さを伝えていけたらと思います。支えてくれている妻をはじめ、ファンの皆さんにも楽しんでもらえるように頑張ります」
我々が想像すらできない厳しい世界で大変な日々を送っているはずだが、「苦労しました」「辛かったです」という言葉はなく、なぜか楽しそうに話してくれたのが印象的だった。
3年前までプロ野球選手としてグラウンドを駆け巡っていた野田の主戦場は水上に代わり、トップを目指して走り続ける。
(取材・文=よしだゆみ/ライター)