元西武・野田昇吾がボートレーサーに異色転身したワケ…声優の妻と結婚後すぐに戦力外通告
「ボートレースは年齢に関係なく、技術と経験がものをいう競技です。野球でいえば、僕はまだキャッチボールをしているレベルなので、早くバッティングができるレベルになりたいです」
こう話すのは、2020年12月に現役生活に別れを告げた元西武ライオンズ投手で、ボートレーサーの野田昇吾(30)。球界からは史上2人目の異色の転身だが、22年11月のデビューから8カ月後の今年7月9日、通算101走目にしてもぎ取った初勝利までの道のりは決して楽ではなかった。
声優の佳村はるかさんと結婚した年に戦力外通告を受け、球界から引退。厳しい養成所生活、デビューから初勝利に至るまでの知られざる努力と夢を語ってもらった。
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5歳の時に父親の勧めで地元の少年野球チームに入った野田は中学卒業後、憧れだった地元、福岡ソフトバンクホークスで投手として活躍した杉内俊哉元投手(現・巨人投手チーフコーチ)の出身校、鹿児島実業高校に進学する。2年生で夏の甲子園に出場するなど活躍し、卒業後は西濃運輸に入社。社会人野球を経て16年に埼玉西武ライオンズに入団し、念願のプロ野球選手となった。
17年にアジアプロ野球チャンピオンシップの日本代表に選出され、翌年には西武ライオンズのリーグ優勝にも貢献した。20年元旦には、声優の佳村はるかさんとの結婚を発表。公私ともに順調に思えたが、同年11月に球団から戦力外通告を受けることに。北海道日本ハムファイターズの新庄剛志監督の参加で話題となったその年のプロ野球12球団合同トライアウトに挑戦したが……。
「全力でアピールしましたが、オファーが来なかった瞬間に頭を切り替えました。小柄な体型が生かせる今からできるスポーツは何か。すぐにボートレーサーになろうと決めました」
競艇は日本と韓国にしかない公営ギャンブル。多少ルールを知っていたのと、年齢よりも経験と技術が生きる競技にチャレンジしたいーー。もちろん競艇を甘く見ていた訳ではなく、むしろ規律の厳しい世界だと認識していた野田は覚悟を決めて、すぐに肉体改造に取り組んだ。とはいえ、常に危険と隣り合わせのスポーツ。さらに結婚したばかりで、初めは、はるかさんに反対されたという。
「独身だったら、独立リーグや社会人野球にチャレンジしていたかもしれません。でも、妻がいて守るものができた。子供にも将来プロとして活躍する自分の姿を見せたいし、家族は自分が守りたいと思い説得しました」
一般的に野球選手の妻は“勝ち組”と見られることが多いが、野田の場合、結婚した年に引退。はるかさんの心境はいかほどだったのか。
「実は肩を負傷してからは爆弾を抱えながらの選手時代だったので、引退を決意した時には正直ホッとした部分もありました。妻にも結婚のときに『(プロ野球選手は)長くはないと思う』と話していました」