ロッテ3位・木村優人 弱小チームで育った“優男”を変えたU18野球W杯の収穫
「優人は自分が投げている試合で下級生の子が失策を重ねても、ヘソを曲げることはありませんでした。初めから割り切って投げていたのでしょう。通っていた斗利出小(卒業した翌年に廃校)は1学年が1桁の人数しかおらず、そんな中で育ったせいか、環境に不満を漏らすこともなかった。楽しくやっていた様子でしたが、1学年上の6年生が引退すると、チームの人数はたったの4人になって……」(信彦さん)
チームが解散したため、小学校最後の1年は藤沢イーグルスに移籍。その頃、兄2人は霞ケ浦高でプレーしていて、「優人も同校を志望していたから、それならば中学から行かせようと。同校付属中に進ませました」と、信彦さん。
霞ケ浦高で指揮を執る高橋祐二監督(64)が言う。
「技術や才能、性格面でもいいところがたくさんあるのですが、ひとつだけ、私が気に入らない点がありました。あまり感情を表に出さず控えめだから、一生懸命さが伝わりにくい。勝利へのこだわりも薄いように見えて……。『冷めたプレーしているんじゃないぞ!』と度々叱ってきました。本人がプロ志望だっただけに、プロに行けたとしても、そこが不安だったんですけどね……」