日本ハム2位・進藤勇也の“自立心”を育んだ「腕相撲無敗」の父の教え
誠さんは小学1年から中学生まで剣道を習っていて、野球は未経験。技術的な話は「こうしてみたらどう?」などと時々、提案する程度に留めた。適度な距離を保ち、判断は息子に委ねる。これが誠さんの教育方針だ。
「中学生以降は野球に口出ししていません。私も情報収集はしますが、中、高、大学の進路は本人に決めさせました。自分が選んだ道なら後悔しないだろうし、結果に責任を持って取り組んでもらえますから」(同)
内浜中時代は糸島ボーイズでは控えの捕手として3年春に全国大会に出場。声をかけられたいくつかの高校の中から筑陽学園を選んだ。
■「頭おかしくなったんか?」
「親ながら、勇也は我慢強くてストイックだと思います。通いだったので、大宰府にある学校まで自宅から片道約1時間。帰宅するのは22時頃でした。練習と移動で疲れているはずなのに、家に着くなりリビングで黙々と筋トレをするのが日課でした。私がつい、『頭おかしくなったんか?』と声をかけてしまうほど、熱心に取り組んでいました。3年時に甲子園に行った頃、『中学時代は控え捕手で悔しかった。高校で絶対に見返したいと思っていた』というような勇也のコメントをニュースで見てビックリしましたよ。家ではそんな話は一切していませんでしたから」(同)