「高校3年生に負けたのが悔しくて」と寺尾…屈辱の黒星で始まった貴乃花との因縁
元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が亡くなった。何度か生命の危険が伝えられてはいたが、60歳はあまりに早い。回転の良い突っ張りとともに記憶に残る取組が多く、中でも1991年春場所、貴花田(のちの貴乃花)との初顔合わせは、訃報とともに多く回顧された。
寺尾は小結で脂の乗った28歳、貴花田は前頭13枚目の18歳。激しい突っ張りといなしを応酬した末に敗れた寺尾が、花道でさがりとタオルをたたきつける姿は語り草になった。この日は支度部屋の風呂にも入らず引き揚げたが、のちに心境を聞かれるたびに答えた。
「こっちは12年取ってきて、高校3年生(の年齢)の相手に負けたのが、ものすごくショックで悔しかったからね」
ともに相撲一家に育った兄弟力士という意識より、負けず嫌いのシンプルな悔しさから。翌場所すぐに雪辱を果たした。
その2人がやがて「貴の乱」で接近する。貴乃花親方と近かった親方衆はカネや年寄名跡の事情などでつながっていたか、現役時代を共にした信奉者か。後者の錣山親方は2017年12月、時津風一門を出て無所属で活動する意向を表明した。