「おいおい、壊さんでくれよ。ワシの家やが」初代増位山の一言が示した部屋制度の根幹
北の湖の現役晩年に序盤で黒星が先行し、もしや引退かと、取組後に報道陣が三保ケ関部屋へ押し掛けていた頃だった。師匠(元大関初代増位山=写真)が応対するというので、記者たちが上がり座敷へなだれ込んだ時、ガシャンと音がした。誰かが床の間の何かに触れたようだ。親方が音のした方をじろりとにらんだ。
「おいおい、壊さんでくれよ。ワシの家やが」
ドスの利いた声とともに、相撲部屋は私有財産だという部屋制度の根本が、駆け出しの頭にたたき込まれた瞬間だった。
北海道の「怪童」と呼ばれた北の湖は、幾つもの部屋から誘われたが、手編みの靴下をくれた三保ケ関親方の弟子になった。その師匠が日本相撲協会定年の翌年に亡くなった時は、同じ日の近い時刻に実父も亡くなる数奇な不幸に遭いながら、師匠の葬儀を優先した。部屋制度の根幹がここにもうかがえる。今では地価高騰や部屋継承の経緯などから、土地建物が賃貸の部屋が珍しくない。やむを得ず「通い」になる師匠もいる。だが、形態はどうあれ自前で確保するのだから、部屋の存廃は一筋縄ではいかない。